渋谷アロープロジェクト

PROJECT

02

渋谷キャスト前

ARROW TREE

東恩納裕一

現代アートと公共(芸術)のマリアージュ(?!)

主に、ギャラリーや美術館で展示される現代アートと、今回のアロープロジェクトのように、目的・公共性を担うことが求められるパブリックアート、この2つは互いに相容れない対立するモノなのでしょうか?

現代アートの馴染みにくさは、従来的なモノの見方に“?”を提示する、評価が未確定の現在進行形だから、だと思います。が、そのベースにある関心が現代のすべてのイシュー(例えば、ジェンダー、環境、資本主義、eyc.…)にあるとすれば、必ずしも2つのアートが対立するとも思えません。と、ここで思い当たるのは、このテーマが、かつて言われた対立:ファインアートとコマーシャルアート、現代音楽/クラシックとポピュラー音楽、(ドメスティックには芥川賞と直木賞)etc.…の変奏のようにも思えることです。
これら2つを対立させる議論は、生産的とは思えず、むしろ、ここは、メトロポリンタンミュージアムでのコムデギャルソンの展示、20世紀日本を代表する現代音楽の作曲家が、世界的ポピュラリティーを獲得している映画音楽(“ゴジラ”)の作者であることに思いを馳せ、勇気をもらうこと、喝采を叫ぶことではないでしょうか。

図1 初期案、スケッチについて

設置場所も周囲の環境も不明な段階で最初に描いた妄想レベルのスケッチです。まず思い浮かんだ情景は、尋常でない事態が起きていることを暗示する、ブレながらも一方向を示す多数の矢印です。矢印は、避難先に急ぐ人々でもあり、数の多さは、イワシの群泳(集団で敵から身を守る)にヒントを得たアイデアです。

矢印の支持体ですが、渋谷駅周辺は緑が少なく、ここにさらに無機的な人工物を加えたくないという思いから、全体を(葉っぱのように矢印が茂る)樹木に見立てました。

この案のキーは、夜間大規模なブラックアウトを想定して、矢印自体を発光させることでした。“枝”に多数の小型ソーラーパネル、“幹”トップに風車(風力発電)、地表には床発電マットが描かれています。ソーラー発電はすでにポピュラーな技術ですが、今回特に、渋谷とも縁のある床発電―ベンチャーが開発、床上を人が歩くことで発電、かつて渋谷駅で実証実験が行われたーをぜひとも採用したいと思いました。

避難する人々自身が発電、矢印が発光、避難先を表示する!…、素晴らしいアイデアと思ったのですが、残念ながら、上記一連の発電システムについては、経費、現在の技術レベル、耐久性/メンテナンスのいずれの点からも課題が多く、やむなく断念せざるを得ませんでした。というわけで、このスケッチがそのまま実現することはありませんでしたが、最初に思い浮ぶ“妄想“には愛着が、非現実ゆえの魅力があります。“樹木”については、初期案を継承、実現することができ、嬉しく/幸運に思っています。

図2(最終模型、シミュレーション・イメージ)

“多数の矢印が茂る樹木”という案をベースに、思考を妄想から現実レベルへとシフト、さまざまに形状を変化させた20余の樹木模型を制作(周囲の植え込み、通行人も再現)、360度からの見え方を検討しました。 図2は、最終案(模型)を設営場所の風景に合成したイメージです。安全性・耐久性など現実レベルのさまざま課題をクリヤしてゆく作業は根気と忍耐を伴いますが、反面、妄想が現実となってゆく過程には期待と不安がないまぜとなったワクワク感があります。

初期妄想案と比較すると樹木もシンプルにデザイン化され、右側一番下の長い枝はソレ自体矢印としても機能します。また、幹トップにあって、クチバシが避難先を示す黒いトリは、自然災害を予知すると言われる鳥/動物のアイコンとして、私たちを見守ると同時に、デザイン的に樹木の三角形シルエットを引き締め/強調します。

最後に、この“アローの木”が、非常時における実際的な機能だけでなく、一時のやすらぎ、ユーモアをもたらすモノでもあることを願っています。

東恩納裕一